考古学という分野があるけれど、過去の物証を見つけて、そこから緻密に情報を積み上げ、かつての人の営みをあぶり出して行くというイメージがある。その物証の一つに、土地に刻まれたもの〜地形〜があると思う。地図や航空写真を前にすると、時間の経つのを忘れて見入ってしまうことがある。物語を読んでいる感じに近いかもしれない。地図では線や色や記号に抽象化されてしまっているので、一層想像力を動員しなければいけないけれど、航空写真はそのものが写っているのと、撮影された時(季節や一日のいつ頃か等)もわかるのでリアルだ。今、インターネットで世界中の航空写真と地図を眺めることが出来る。例えば、Google Earth, Satellite Maps Boost Armchair Archaeologyなんて記事があった。なるほど、Armchair Archaeology か。パソコンのモニター越しに、世界中を考古学の旅をするのも面白いなあ。
そういえば、今関わっている、神戸の上津橋も、上空から見ると、条里制の跡が田んぼの区画割りに残っていた。”いた”と過去形なのは、基盤整備で新しい区画に整地されるから。事業の良否を問うつもりはないことを、あらかじめ断った上で、先述したことに関連づけると、その土地に繰り広げられて来た人の営みをたどる上で、そのヒントや契機になる物証を、この土地は一つ失うことになるんだなと思った。過去をたどると、農作業の大変さが浮かび上がってくるのかもしれないけれど、経済原理で計られて意思決定されることに、ちょびっと寂しさを感じたりした。すっかり整備された後、Armchair Archaeology で古の風景へ旅立つことは難しくなるんだろうなあ。
そういえば、県の考古博物館準備室におられる方とお話をしていた時、こんなことをおっしゃったのがとても印象的だったのを思い出した。
「考古学は、過去を探るだけではなくて、過去を探って未来を考える学問なんです。」
なるほどと目から鱗だった。まさに温故知新。郷愁こそがそこに向わせる動機だろうと高をくくっていた自分を恥じたのを覚えている。