農で生産される食物は、本来、土地がなければこの世にあり得ない。例えば、野菜や米。現在の流通形態からは、北海道のジャガイモやタマネギが九州で売られていたっておかしくない、と感じる。むしろ、産地には、気持ちは向いても、リアリティがない。
ある土地で育てられた野菜を、その土地や近隣の土地で消費する事が良い事とされている。いわゆる、地産地消。医食同源とか、その他にも色々とあるけれど、健康と社会の在り様を含めたメッセージとして聞き及んでいる。でも、この言葉を通してイメージしても、やはり詰まる所、リアリティがない。良い事、と漠然と思えても、地に足着いてそれを受け止める事が出来るだろうか。僕には危うい。それよりも、ふと気づいたことがある。その土地の野菜や米を食べるということは、少なからず、その土地を食べる事になるのではないか。ということだ。その土地を、その土地で育てられた野菜や米を通じて食べる。その土地は、自分の血となり、肉となり、知恵となる。自分を形作るものを、その土地から得る。こう考えると、土地を食べるためのリアリティは大切な事ではないかと思い至る。だから地産地消につながる。土地が、風土が感じられる、生産者の顔が見える、そういう距離感において農産物を食することによって、土地を食べることに通じる。だから地産地消だ。どこまでの距離が許されるのか。そういう基準化は愚問だろう。小学校卒業まで育った土地で育った野菜を、時折段ボールに詰めて送ってもらって食べる。それでもいいんじゃないか。土地を食べる。土地との関係性の認識を回復させることが、まず求められている気がする。